お便りシリーズNo.73

= 令和3年・2021年
東京大学古典だより(古文漢文) =




木山のホームページ   


《古文の設問(四)「殿を一つ口にな言ひ

そ」とはどういうことか、に関しての三

つの解釈の可能性について》


第ニ問(古文)

次の文章は『落窪物語』の一節である。落窪の君は源中納言の娘で、高貴な実母とは死別し、継母(ままはは)にいじめられて育ったが、ひそかに道頼(みちより)と結婚して引き取られて、幸福に暮らしている。少将だった道頼は今では中納言に昇進し、衛門督を兼任している。以下は、道頼が継母たちに報復する場面である。これを読んで、あとの設問に答えよ。

  かくて、「今年の賀茂(かも)の祭、いとをかしからむ」と言へば、右衛門督

(えもんのかみ)の殿、

ア 「さうざうしきに、御達(ごたち)に物見せむ」

とて、かねてより御車新しく調じ、人々の装束(さうぞく)ども賜(た)びて、

「よろしうせよ」とのたまひて、いそぎて、その日になりて、一条の大路(おほ

ぢ)の打杭(うちぐひ)打たせ給へれば、「今は」と言へども、

イ 誰ばかりかは取らむと思して、

のどかに出て給ふ。

  御車五つばかり、おとな二十人、二つは、童四人、下仕(しもづかひ)四人乗

りたり。男君具し給へれば、御前(ごぜん)、四位五位、いと多かり。弟(おと

と)の侍従なりしは今は少将、童におはせしは兵衛佐(ひょうえのすけ)、

ウ 「もろともに見む」と聞こえ給ひければ、

皆おはしたりける車どもさへ添(そ)はりたれば、二十(はたち)あまり引き続き

て、皆、次第どもに立ちにけりと見おはするに、わが杭したる所の向かひに、

古めかしき檳榔毛(びりゃうげ)一つ、網代(あじろ)一つ立てり。

  御車立つるに、「男車の交じらひも、疎(うと)き人にはあらで、親しう立て

合はせて、見渡(みわた)しの北南に立てよ」とのたまへば、「この向かひなる

車、少し引き遣(や)らせよ。御車立てさせむ」と言ふに、

エ しふねがりて聞かぬに、

「誰が車ぞ」と問はせ給ふに、「源中納言」と申せば、君、「中納言のにもあ

れ、大納言にてもあれ、かばかり多かる所に、いかでこの杭ありと見ながらは

立てつるぞ。少し引き遣らせよ」とのたまはすれば、雑色(ざうしき)ども寄り

て車に手をかくれば、車の人出で来て、「など、また真人(まうと)たちのかう

する。いたう逸(はや)る雑色かな。豪家(かうけ)だつるわが殿も、中納言にお

はしますや。

オ 一条大路も皆領じ給ふべきか。

強法す」と笑ふ。「西東(にしひんがし)、斎院もおぢて、避(よ)き道しておは

すべかなるは」と、口悪(あ)しき男また言へば、「同じものと、

カ 殿を一つ口にな言ひそ」

などいさかひて、えとみに引き遣らねば、男君たちの御車ども、まだえ立て

ず。

君、御前の人、左衛門(さえもん)の蔵人(くらうど)を召して、「かれ、行(おこ

な)ひて、少し遠くなせ」とのたまへば、近く寄りて、ただ引きに引き遣らす。

男ども少なくて、えふと引きとどめず。御前、三四人ありけれど、「益(やう)

なし。この度(たび)、いさかひしつべかめり。ただ今の太政大臣の尻は蹴ると

も、

キ この殿の牛飼ひに手触れてむや」

と言ひて、人の家の門(かど)に入りて立てり。目をはつかに見出して見る。

  少し早う恐ろしきものに世に思はれ給へれど、実(じち) の御心は、いとなつ

かしう、のどかになむおはしける。





[現代語訳]

  こうして「今年の加茂の祭はたいそう趣深いことだろう。」と言うので、《←この発言者は問題文の範囲では明確ではないが、敬語が用いられておらず、道頼に仕える者の発言か、又は、世間一般の人々の発言と思われる》
衛門督の殿(えもんのかみのとの=道頼様)は、

ア 「さうざうしきに、御達(ごたち)に物見せむ」

と言って、前もって御車(=牛車)を新しくしつらえて、人々(お付きの女房達)の装束などもお与えになって、「(祭見物の支度を)よろしく見苦しくないようにせよ。」とおっしゃって、準備して、その加茂の祭の当日になって、一条大路に【車を停(と)める場所を確保するための杭…補註アリ】を打たせなさったので、今は(もうお出かけなさいませと人々が出立をせかせて)言うけれど、(道頼様は)

イ 誰ばかりかは取らむと思して、

のんびりとお出かけなさる。

 御車は五台ほどで、大人(の女房)が二十人、(あと)二台には女童が四人、下仕えの女が四人乗っていた。男君(=道頼様)がご同行なさったので、御前のお供には四位や五位の殿上人などたいそう多い。

(道頼様の)弟君で、以前は侍従であった方は今は少将におなりになり、以前は殿上童であった方は今は兵衛佐(ひょうえのすけ)に昇進していらっしゃったが、【昇進についての補註アリ】

ウ 「もろともに見む」と聞こえ給ひければ、

《一緒に見物しようの意だが、道頼が弟達を誘っているのか、逆に弟達からの道頼への提案なのか判然としない。しかし、設問の要求は該当部の現代語訳であり、誰から誰へといった説明を求めたものではないので、その点不問にしたままでも答案を書くことはできる》

(そうして)皆見物にいらっしゃった(その弟君達の)御車までもが加わったので、二十台余り引き続いて、皆順番に従って立ち並んだなぁと(道頼様が)ご覧になると、自分達が杭を打った場所の向い側に、古ぼけた檳榔毛(びりょうげ)の牛車が一台と、網代(あじろ)車が一台停(と)まっている。

 御車を停める時に(道頼様は)「男の乗った車の配置も(互いに)疎遠な人ではない(ので)、親しく並べ合わせて、(道の両側で)見渡せるように(道のこちら側と向こう側の)南北に並べ立てよ。」とおっしゃったので、(道頼様方の従者が)「この向い側の牛車を少し引きのけさせよ。こちらの御車を停めさせよう。」と言うと、

エ しふねがりて聞かぬに、

(道頼様は)「誰の車か。」と尋ねさせなさると、「源中納言殿(リード分にあるように落窪の君の父君)の御車です。」と申し上げるので、男君(=道頼様)は「中納言の車であれ、大納言の車であれ、(見物場所は)これほど多い所に、どうしてこちらの打ち杭がある所と見ておきながら車を停めたのか。少し引きのけさせよ。」とおっしゃるので、
(道頼様方の)雑色たちが(源中納言方の)車に手をかけると、(相手方の)車付きの従者が出てきて、「どうして、また、あなた方は(真人…まうと→二人称の敬称あなた方)こんなことをするのか。たいそう血気盛んな雑色だな。権門らしく振る舞うあなた方のご主人も【豪家だつわが殿…補註アリ】中納言でいらっしゃるのか。

オ 一条の大路も皆領じ給ふべきか。

横暴なことをするものだ。【強法す…補註アリ】」と言って笑う。

以下の文章については、三つの解釈の仕方を示します。冒頭の発言中の「西も東も」は『上皇様も東宮様も』と解釈する説が古典体系などに見えますが、入試レベルでは解釈不能だと思いますので、そのままに記します。

解釈1

(道頼方の従者が)「(こちらの殿である道頼様に対しては)西も東も、斎院も《←加茂神社に奉仕する皇女/加茂祭の主宰者である斎院でさえも、という気持ちを含む》道を避(よ)けてお通りになるはずだと聞いているぞ。」と(言うと)、(相手方の源中納言家の従者で)口の悪い男がまた(何かを)言ったので、(道頼方の従者がそれに言い返して)「同じ中納言だなどと、

カ 殿を一つ口にな言ひそ《←この解釈では殿=道頼》

などと(言い)争って、急には(源中納言方の)車を引きのけることができないので、〜

*日本古典文学全集『落窪物語』P262の訳文・註釈は、この解釈1を支持しています。校註・訳者は三谷栄一氏【國學院大学出身、国文学者、実践女子大学名誉教授、2003年勲三等瑞宝章受賞】共著者は稲賀敬二氏。

解釈2

(道頼方の従者が)「(こちらの殿である道頼様に対しては)西も東も、斎院も道を避(よ)けてお通りになるはずだと聞いているぞ。」と(言って)、(さらに重ねて道頼方の別の従者で)口の悪い男がまた(なにかを)言ったので、(源中納言方の従者がそれに言い返して)「同じ中納言だなどと、

カ 殿を一つ口にな言ひそ《←この解釈では殿=源中納言》

などと(言い)争って、急には(源中納言方の)車を引きのけることができないので、〜

*新潮日本古典集成『落窪物語』P173の解説・註釈はこの解釈2を支持しています。校註者は、稲賀敬二氏【東京大学国文科出身、国文学者、広島大学名誉教授】

解釈3

(源中納言方の従者が)「(お前たちの主人の道頼様に対しては)西も東も、斎院も道を避(よ)けてお通りになるに違いないそうだなぁ。」と口の悪い男(=源中納言方の従者の車添い)がまた言ったので、(道頼方の従者がそれに言い返して)「同じ中納言だなどと、

カ 殿を一つ口にな言ひそ《←この解釈では殿=道頼》

などと(言い)争って、急には(源中納言方の)車を引きのけることができないので、〜

*この説は、「西東、斎院もおぢて〜〜〜おはすべかなるは」の発話者を源中納言方ととり、両者の舌合戦ではなく、源中納言方の車添いが続けて2回発言したとする解釈です。
新日本古典文学大系『落窪物語』P177の註釈は、この解釈3を支持しています。校註者は藤井貞和氏【東京大学文学部出身、国文学者・詩人、東京大学名誉教授】共著者は稲賀敬二氏。




《三つの解釈の背景と説明》

 まず、前提として「西東、斎院もおぢて、避(よ)き道しておはすべかなるは」の会話文の末尾は、「〜と、」と読点で一旦区切られており、直後の「悪しき男また言へば」とは分けられていますが、その理由はそのまま繋いでしまうと、道頼方の従者の発言が二度目にあたることになり、何に対して「また」と言っているのか説明出来なくなることを考慮した、校正上の判断があると思われます。
(古典大系、古典集成、古典全集すべてに共通の校正です)
つまり、「〜と、」という部分が、すでに「〜と言うと/〜と言って」などの意を含んで表記されているわけです。解釈1では、その発言に対して《源中納言方の》口の悪い男が何か言ったので、《道頼方》が言い返したという解釈ですし、一方、解釈2では、その発言に重ねてさらに《道頼方の》口の悪い男がまた何か言ったので、《源中納言方》がそれに言い返した、とする解釈です。

 つまり、解釈1では、「口悪しき男また言へば」の " また " は、源中納言の車付きの従者の発言=「など、また真人(まうと)たちの〜〜強法す。」を受けて、再びまた源中納言側が発言したという解釈。

一方、解釈2では、直前の道頼方の従者の発言=「西東、斎院〜〜べかなるは。」を受けて、さらにそれに重ねて、また道頼方の従者が発言したという解釈です。副詞の「また」には『再び』の意も『さらに・重ねて』の意も両儀ありますから、どちらの解釈も「また」という語句のニュアンスについては説明されているように見えます。
(ただし、解釈1・2の場合、口の悪い男が言った発言の内容については、どちらの解釈においても不明であり、中納言という位階に絡めて何か辛辣なことを言ったのだろうと推察するしかありません)

解釈1では、「同じものと、殿を一つ口にな言ひそ」の発言を道頼側の従者とすることで、院、東宮、斎院も避けて通るほどの道頼の権勢の強大さを表していることになります。実際、物語上でも、道頼一族が女御を入内させているために、その権勢は太政大臣以上とされ、道頼方の従者までもがそれを傘に来て威張るといった描かれ方をしています。

 また、"「同じものと、殿を一つ口にな言ひそ」などいさかひて、えとみに引き遣らねば、“ の『えとみに引き遣らね=急には(源中納言方の車を)引きのけることができない』のは、道頼方の能動的な行為であり、『などいさかひて、』の接続助詞「て」の前後で一般に主体が変わらないことが多いという原則に従えば、『同じものと一つ口にな言ひそ』の発言者もまた道頼方の従者と見る方が自然だという考え方に依っているのかもしれません。
(ただし、接続助詞「て」の前後で主体が変わる例もよくあるので、決め手とまでは言えません。あくまで、その方が自然だろうというレベルです)

一方、解釈2では、源中納言が物語の初めからずっと中納言であったのに比べて、道頼はつい最近(巻二の後半部、この加茂祭の車争いのすぐ直前あたりで)中納言に昇進しているので、新米の中納言を源中納言方の従者が揶揄(やゆ)しているという解釈です。
「同じ中納言だなどと、わが殿源中納言様と等し並み(ひとしなみ)に言うな。お前の所はまだ新米の中納言じゃないか!」といった感じです。
この解釈も物語の展開上、捨て難く感じます。

もちろん、問題文の範囲では道頼と源中納言のどちらが先に中納言に昇進したのかはわからないわけですが、しかし、源中納言方の「一条の大路も皆領じたまふべきか。強法す」といった強い発言からも、「殿を一つ口にな言ひそ」の挑発的発言が源中納言方からなされたと解釈しても違和感はなく、入試問題として絶対にダメだとする決定的な根拠も見あたりません。
 口の悪しき男とは源中納言方の車添いのことであり、この男の発言「など、また真人(まうと)たちの〜〜〜強法す」をさして "口が悪い"と表現したのだから、やり取りの順番として、「殿を一つ口にないひそ」は道頼方の発言とすべきだとする説も、一つの解釈ではありますが、それが即座に解釈2を排除する論拠となる訳ではなく、道頼方の従者の発言の方を、上皇や斎院を蔑(ないがし)ろにする不敬発言としての " 口の悪さ“ と解しても違和感はありません。

一方、解釈3は「西東、斎院もおぢて〜〜〜〜おはすべかなるは」を、源中納言方の車添いの、前言に連続した発言と見る点で解釈1・2と大きく異なります。確かにそう考えれば「口悪しき男また言へば」は直前のカギ括弧と直接繋がることになりますから、口悪しき男が具体的に何を言ったのか不明とする解説1・2の不備を克服できます。
ただ、直前のカギ括弧は《 〜」と、》と、一旦読点で区切られており、普通こういう校正の場合、前後が直接繋がっていないと見なされることが多いですし、[もし東大が解釈3の立場をとるのならば、入試問題作成上の便宜として《〜」と、》の「、」(読点)を削除して載せるべきではないか、といった考えも出て来ます] また、「西東、斎院もおぢて〜〜〜〜〜おはすべかなるは」の発言は、いかにも道頼方の従者の自慢めいた発言と見るのが自然ではないか、といった反論も出てきそうです。

 そもそも東大は、この三つの解釈の可能性に対し、入試問題として成り立つ程の厳密で論理的な決着をつけているのでしょうか。決着がついているとすれば、それはどんな論法になるのか知りたいところです。東大には入試問題の内容について問い合わせ出来るシステムがあり、さっそくこの件を問い合わせてみました。《すでに届いている東大の回答は後で紹介します》また、それとは別に、この二つの解釈に対する私自身の考えも、後で書いてみたいと思います。

[続き]

 などと(言い)争って、急には(源中納言方の)車を引きのけることができないので、(道頼方の)男君たちの御車をまだ立て並べることができない。
男君(=道頼様)は、御前にいる左衛門の蔵人【道頼と落窪の結婚に尽力した帯刀(たちはき)という従者…補註アリ】をお呼びになって、「あの車をうまく行って(=指揮して)、少し遠くへやれ。」とおっしゃるので、(左衛門の蔵人とお付きの人々は源中納言方の車の)近くに寄って、ただもう無理やりに引のかせる。

(源中納言方には)お付きの男たちが少なくて、即座にそれを制止することもできない。御前の者が三〜四人はいたけれど、「つまらないことだ。この度はきっと(大きな)争いになってしまうようだ。ただ今の太政大臣の尻は蹴るとも、

キ この殿の牛飼ひに手触れてむや」

と言って、牛車から離れてよその家の門に入って【人の家門に入りて…補註アリ】立っていた。目だけをわずかに出して、(大路を)見ている。
《以下の最後の一文は、作者が道頼を弁護するためにする、とってつけたような草子地です》

(こうした事件を見ると、道頼様は)少々恐ろしい者のように世間では思われなさっているけれども、実際の道頼様のお心は、たいそう親しみやすく、穏やかでいらっしゃった。

木山のホームページ   


[設問]

以下、今年の添削通信の2名の方の再現答案を紹介しつつ、答えを解説します。【お二人とも東大理Ⅲ・文Ⅱに合格されています】


(一) 傍線部ア・イ・ウを現代語訳せよ。

ア
Aさん⇒物寂しいので、あなた達に賀茂祭りを見物させよう。(一部減点)
Bさん⇒物足りないので、女房たちを驚かせよう。(一部減点)
木山⇒物寂しいので、女房たちに賀茂祭りを見物させよう。

*『さうざうし(寂寂し)=物寂しい・物足りない』B形43。『御達(ごたち)=女房たち』 E他20。スンナリ正答できるはずの設問ですが、Aさんは『御達』の訳を「あなた達」と誤訳しており、Bさんは「物見せむ」を祭見物ではなく、どういうわけか「驚かせよう」と訳出しています。年間を通した暗記チェックでは正確に答えていた彼らも、東大の本番となるとやはりあがってしまったようです。

イ
Aさん⇒誰が牛車の場所を取ろうか、いや、取るはずがないとお思いになって(正解)
Bさん⇒誰が取るだろうか、いや、誰も取りはしないとお思いになって(正解だが若干減点か)
木山⇒いったい誰が見物の場所を横取りしようかとお思いになって

*Bさんの答案には「見物の場所/牛車を停める場所」の説明がなく、若干減点される可能性があります。

ウ
Aさん⇒「御前や四位五位の者と一緒に祭りを見たい」と申し上げなさったところ(不正解)
Bさん⇒「一緒に見よう」と申し上げなさったので(正解)
木山⇒「一緒に見物しよう」と申し上げなさったので

*Aさんの答案の「御前や四位五位の者と一緒に」は誤読です。道頼が弟達を誘っているのか、逆に弟達が道頼に提案しているのかは判然としませんが、ともかく、その両者のやり取りであって、道頼に従う従者や四位五位の殿上人は関係ありません。

(二)「しふねがりて聞かぬに」(傍線部エ)とは誰がどうしたのか、説明せよ。

Aさん⇒御前達の牛車の向かいの牛車が願いを聞かず、無理矢理場所を譲らなかったこと。(正解)
Bさん⇒源中納言の牛車が強情にどかなかったということ。(正解)
木山⇒源中納言方の人々が頑固に(意地を張って/強情に)車の移動を承知しなかった。

*「しふねがり」は『執念がり』で、「執念」が動詞化したものです。これを予め知る受験生はいないと思いますが、正答出来た受験生は文脈の整合性と ” 執念 " の語感から、何か強情に(その場所に)執着するニュアンスを感じ取ったと思います。意訳の表現としては、「執念深く/頑固に/強情に」などが考えられます。

(三)「一条の大路も皆領じ給ふべきか」(傍線部オ)とはどういうことか、主語を補って現代語訳せよ。

Aさん⇒権門らしく振る舞うあなた達の主人も、一条大路を全て治めなさるはずがない。(かなり減点)
Bさん⇒同じ中納言である道頼殿は、一条大路を全てお治めになることができるのですか。(かなり減点)
木山⇒そちらの主人道頼殿は一条の大路も全て領有なさろうとでもするおつもりか。

*傍線部オの直後の「強法す」は、補註では『横暴なこと』と出ており、道頼方の行動を
'' 横暴で無法な振る舞い " と見て、非難する気分で言われていることが分かります。
だとすれば、傍線部オは、『お前たちの主人は一条大路の全てを領有して、自分のものだと主張なさるのか、(そんなことをしてよいことがあろうか)』と非難しているわけですから、その非難のニュアンスを上手く表現に出す必要があります。
Aさんの答案は、傍線部中の「べき=適当(〜するのがよい)」の意を訳し飛ばして反語の訳に繋いだために、意味合いが全くズレてしまいました。正しくは、『権門らしく振る舞うあなた達の主人も一条大路を全て治めなさってよいはずがない』などと書けばかなり正答に近くなったでしょう。
一方、Bさんの答案は「べき」を可能の意に取ってしまい、また、文末を単純な疑問形に解釈したために、相手を非難するニュアンスが出ていません。両者ともに若干の部分点があったとしても、かなり大幅な減点になるだろうと思います。

(四)「殿を一つ口にな言ひそ」(傍線部カ)とはどういうことか、「一つ口」の内容を明らかにして説明せよ。

Aさん⇒道頼様と御前とを、同列の中納言とはいえ同格などと扱わないでくれ。(御前という表現は減点対象)
Bさん⇒斎院と源中納言とを同じ立場であるかのように言うな、ということ。(不正解)
木山⇒当方の道頼中納言をそちらの源中納言と同列であるかのように言うなということ。【←解釈1・3】
⇒当方の源中納言をそちらの道頼中納言と同列に扱うなということ。
【←解釈2】

*Aさんの「御前」という言葉は、問題文中では、道頼に仕える者/源中納言に仕える者の両義で用いられており、その筋で言えば不正解になります。しかし、御前には貴人自身を表す用法もありますから(直単D基18②)、主人筋の源中納言を『御前』と表現したのだとすれば、その意を汲んでもらえる可能性はあります。ただし、文中には源中納言を “ 御前 " と称した部分が無いので、少し苦しいかなとは思いますが。




《三つの解釈に対する木山の考え・東大の

回答の紹介》


 結論を先に言いますと、東大の問題作成者は解釈1を想定して作問したのではないかと推察しています。もちろん、解釈2や解釈3の可能性を完全な論理矛盾として排除できるような完璧な論法は私も思い付きません。しかし、若干でもどちらの解釈が文脈上優位であるかといった優劣論で言えば、解釈1の方がやや優位だと感じます。

 実は、源中納言方の車添いの発言中の『豪家だつる』『強法』は補註の補いだけでは伝わりにくいのですが、和文系の中に挿入される漢語の効果としては、男らしく勇ましい武張った物言いとしてのニュアンスを帯びますから、それが喧嘩ごしの嘲笑へと繋がり、” 笑ふ ” という表現になるのだと解せます。
 その喧嘩ごしの武張った物言いの発言者を指して、『口悪しき男』とすれば、その口悪しき源中納言方の男(=車添い)がまたぞろ何か悪口(あっこう)を働いたので、道頼方が「同じものと、殿を一つ口にな言ひそ」言い返す、といった解釈の方が流れとしてはより自然に感じます。

 古典研究者の立場では、こうした漢語の効果は無意識的に捉えられているはずですから、作問者は何の疑念もなく『口悪しき男また言へば』は、源中納言方の車添いの再度の発言と見て、それへの言い返しとしての傍線部カ(つまり道頼方の反論)を設問化したのだろうと、推察されます。

 しかし、受験生が見ているのは『豪家だつる』『強法す』の補註の説明のみですから、補註の説明を原文に当てただけでは、喧嘩ごしの武張ったニュアンスが伝わらず、むしろ源中納言方の車添いの発言は真っ当な正論としての懇願・抗議のようにも見えてしまいます。もちろん、笑っているわけですけど、それも抗議とお追従の入り混じった複雑で弱い笑みと取れなくもない。すると、「口悪しき男」=「源中納言方の車添い」という作問者には自明な見立ても、受験生にとってはそれほど自明とも言い難くなってきて、口悪しき男とはいったい誰なのか、” 我が殿に対してはなぁ〜、院も東宮も斎院までも恐れを為して道を避けて通るのだぞぉ〜 " という道頼方の従者の発言の方が、余計に不敬で口が悪いようにも感じられて、こいつか?などと忙しく逡巡することになります。(←こう判断すれば解釈2)
 おそらく、今年の東大古文では、このような目まぐるしい逡巡が受験生の思考の中を激しく渦巻いたことと想像いたします。

もう一つ、別の観点から解釈1の方がやや優位と感じる理由は、道頼方の従者の呼称が『雑色(ざふしき)ども』『御前の人々』と称されており、「口悪しき男(をのこ)」の『男』といった突き放した表現になっておらず、一方の源中納言方の従者については、他に『男(をのこ)ども少なくて、えふと引きとどめず』とあるところから、「口悪しき男=源中納言方」とする方が呼称に整合性があるように感じられる点です。
 ただし、これも優劣を突き詰めれば出てくるじんわりとした印象のようなものですから、決定的な論拠になるとまでは言えず、仮に『道頼方の雑色の中で特に口の悪い男が〜』と解釈しても、それがすぐさま大きな違和感や論理矛盾に繋がるわけではありません。あくまでも、やや自然かなぁというくらいの感じです。

一方、解釈3は「など、また真人(まうど)たちのかうする。〜〜〜強法す」と嘲笑した源中納言方の車添いが、そのまま重ねて「西東、斎院もおぢて、〜〜〜おはすべかなるは」と続けて発言したとする解釈ですが、『口悪しき男また言へば』の直前が《〜」と、》と一旦読点で区切れている点はおくとしても、作品論としてみた場合、私は「西東、斎院もおぢて〜〜〜」の発言を源中納言方とみる見方には違和感を覚えます。
 落窪物語の全編を覆う勧善懲悪的な筋立てや、権力謳歌(おうか)的な性格からも「西東、斎院もおぢて〜〜〜」の発話者はいかにも道頼方の発言と解してこそ相応(ふさわ)しいのではないでしょうか。古典全集や古典集成が道頼方の従者の発言とする理由もそこにあると思われます。
 源中納言方の車添いの発言ならば、なぜ相手方の権勢の優位性をわざわざ追認するようなことを言うのでしょうか?sarcasticな皮肉とでも解するのでしょうか?皮肉だとすれば、そこまで挑発的で高飛車な発言をした源中納言側が、一転して怖気付いてしまうのは、あまりに心情の振幅が大きいのではないでしょうか?

 ともかく、以上のような理由で、優劣論を言えば、東大は出題の当初においては、設問(四)の解答を解釈1の方向で考えていたのではないかと推察しています。東大がホームページ上に公開している「出題の意図」にも、” 従者たちの言い争うありさまを正確に理解する力が試される “と書かれている点からも、設問(四)はどちらの側からの発言なのかを含めて『一つ口にな言ひそ』の上手い意訳と 解説を求めたと解せます。仮に、どちらの側からの発言なのかは解釈1・3でも解釈2でも不問というのであれば、ただの傍線部の現代語訳になりますから、設問(一)にしてしまえばよく、わざわざ説明問題にする意味がありません。

 作問の際に、完全な現代語訳が付いている小学館の日本古典文学全集を利用したのであれば、訳文のまま素直に解釈1を採ったとも考えられますし、新日本古典文学大系でも補註を見れば解釈3の立場であることはすぐ分かります。
ただ、新潮日本古典集成の補註の方は、よく見なければ、それが解釈2を意味することに気づきにくい書かれ方をしていますので、ひょっとして、解釈2の立場を取る注釈書が存在することを見逃していた可能性もあるのではないか?とも思われますが、実際はどうであったのか真相は藪の中で、わかりません。

 大手中堅予備校の解答速報によって、模範解答が解釈1・3と解釈2に分かれた時点で(駿台・河合は解釈1・代ゼミ・臨海セミナー東大プロジェクトは解釈2)、大学側もそれに気付いたのか? その場合、採点上の処置が二つの解釈に対して、どのようになされたのか?あくまでやや優位な解釈1や解答の方向性が同じになる解釈3を正解とし、解釈2は間違い(0点)と判断したのか?それとも、両者に採点上の差を付けたのか?もしくは、当初の作問の主旨を改めて、研究者の間でも諸説あることを鑑み、解釈1・3でも解釈2でも良しとしたのか?全ては藪の中で、わかりません。
しかも、現行の制度では東大は、外部からの設問内容に関わる問い合わせには答えない、という立場を堅持していますから、今後も情報が得られる見通しがないのです。

《国文学の重鎮である三人の名誉教授の説

がそれぞれ異なっている箇所の判断を、入

試問題として数分で解かせることに無理が

あるのではないでしょうか?》


以下に、私の問い合わせに対する東大入試事務室の回答を載せます。

《問い合わせに対する東大の回答》

木山一男様

東京大学入試事務室です。
お問い合わせの件について、以下のとおり回答いたします。
本学の二次試験につきましては、以下のページに、『出題の意図と解答』を公表しております。
今回、問題作成時の論拠と、意図に関するお問い合わせをいただきましたが、本学では、上記の『出題の意図と解答』以外に特に公表の予定はございません。
誠に恐れ入りますが、ご了承いただけますようお願い申し上げます。

*上記の回答中の『出題の意図と解答』の古文に関する記述は以下の通りです(木山)⇒
「第二問は古文についての問題で、『落窪物語』の車争いの場面を題材としました。古文の基礎的な語彙・文法の理解を踏まえつつ、従者たちの言い争うありさまを正確に理解する力が試されています。文科ではさらに話の鍵となる箇所を具体的に説明させる問題をも出題しました。」

*『木で鼻をくくる』という、今ではあまり使われない慣用句の意味を、私はこの東大のそっけない回答を通して学生に教えたくなりました。



大学入試に於ける解答例の開示・問い合わせへの回答については、近年、どのような経緯のもとで各大学で改革が進められてきたか、以下に記事風にまとめてみました。


《国立大学の解答例の開示に関する動向》

 京都大学は2017年度の物理の出題にミスがあり、入試の約一年後の2月1日に、受験生17人を新たに追加合格にすると発表した。ミスがあった問題では、音源から出た音波と、壁に反射した音波が弱め合う条件について尋ねていたが、音波の性質について問題文中で明らかにしなかったため、受験生の選んだ考え方によっては、二つの解答の両方が正解となってしまうというものだった。
 京大総長は、「多大な迷惑をかけお詫びする。影響を受けた受験生の立場で対応する。入試の時期にこのような事態が判明し、受験生に動揺を与えたことを反省する。」などとするコメントを文章で発表。「物理の専門家が検討を重ねた結果であり、自信があった。間違いがあるとは思わなかった。」問題作成に携わった教授らは調査に対しこう釈明したという。
 新たに追加合格となった学生に対しては、他大学の授業料や予備校の費用などを補填する処置がとられ、京大総長が月給の10%を3ヶ月、理事7人が1ヶ月それぞれを返納する事態となった。
 2017年度には、同様の出題ミスが大阪大学の物理でも発覚しており、文科省はすべての国立大学に対して、すべての科目のすべての問題の標準的な解答例を(原則)公開することを促す、と通達を出した。ただし開示は義務ではない。ちなみに、2017年度に正解や解答例を非公開としていた国立大学は全体の4割強の36校。
 これまで希望者だけが閲覧できるルールだった大阪大学は「幅広い人に見てもらいミスの存在を早い段階で洗い出す」ため、合格発表後に大学ホームページに掲載すると改めた。
「解答例を示すと、それ以外の答えがないとの印象を与えてしまう」との理由で公表に慎重だった京都大学も一転して問題と解答例の原則公表を表明した。

 これに対して、東京大学は独自の立場を取る。京都大学・大阪大学の出題ミスの発覚を受けて、大学に入試の解答例の公開を求める声が出ていることについて、東京大学は「現時点で開示をするつもりは全くない」と否定的な考えを示している。多様な解答方法が存在する記述式の試験で、受験生に「解答は一つ」と捉えられてしまうことを恐れているという。「解答は一つではないことがいっぱいある。我々が知りたいのは、解答を導くまでのプロセスであり、そのプロセスが3つ、4つあっても良い時に、解答例を示すことで一つだけが解答と捉えられてしまうことを非常に恐れている。」(2018年2月の記者会見での東大副学長のコメント)と、改革前の京都大学と同様の理由を述べている。



 東大の立場も理解できないわけではありません。多様な解答の方向性を丁寧に見ていくという点は評価できます。しかし、一方で、出題ミスや入試に問うには無理があると判断される設問について、外部からチェックするシステムが何もないという状況は問題があるようにも感じます。


《市販の東大解説本などの解説について》

S予備校の解答は「同じ中納言でも、我々の主人衞門督殿を源中納言殿と同列に扱うなということ。」となっており、これは前後の文脈も含めて、解釈3の立場に立ったものです。
 つまり、「など、また真人(まうど)たちのかうする。いたう逸(はや)る雑色かな。豪家(かうけ)だつるわが殿も、中納言におはしますや。一条の大路も皆領じ給ふべきか。強法す」と、その直後の「西東、斎院もおぢて、避(よ)き道しておはすべかなるは」という発言は同一人物(=源中納言方の従者)の連続した発言とみて、その発言中の「強家だつるも、」の『も』に着眼すべきとしています。『も』には同類を暗示する働きがあり、源中納言方の従者の発言には "どちらの主人も同等の中納言であり、それを無理やり引き退けさせるのは失礼ではないか " といったニュアンスが含意され、その発言に反発した道頼方の従者が「同じ中納言だからといって、同列のように言うな」と言い返したのだ、とする説明です。
 この解説は、解釈1や解釈2の視点を最初から考慮に入れず、解釈3の視点のみで自己完結的に考える場合、どこにも矛盾のない一貫した説明となります。ある意味、一番単純で分かりやすい説明かも知れません。
ただし、そもそも、なぜ「西東、斎院もおぢて、避(よ)き道しておはすべかなるは」の発言が、道頼方ではなく、源中納言方の従者の発言となるかの説明はどこにも書かれておらず、現代語訳がさり気なくそうなっているだけです。解釈3はその点に全面的に依拠する説ですから、それに対する説得的な説明があって然るべきではないか、と私は感じます。

T予備校の解答は「同じ中納言だからといって道頼を源中納言と同列に扱うな、ということ。」となっており、その解説文には、どちらか一方に決めなければなければならない解説者の苦しい胸の内がにじんでいます。
 曰く、「このあたり、主語が書かれていないこともあり、「西東…」を言った人物、「口悪しき男」という人物、「同じものと…」といった人物が、それぞれどちら側の供人なのかについては、分かりにくく諸説ある。(中略)
 (=偉そうにするな、そちらだってこちらと同じ中納言じゃないか)」という言葉に対して、言い返しているのが「同じものと…」の発言であると考えられるから、この言葉を言っているのは、衞門督(=道頼)側の供人であると考えたい。
」とあり、同業者としては極めて正直な説明として共感できます。

『〜と考えたい。』という言い回しは、客観的な論証というのではなく、主観的であり、微妙な優劣論からにじみ出る印象や感想のようなレベルですが、解説者がそう書かざるを得ない設問というのは、(私が書いても同様に歯切れの悪いものとなると思いますが)、入試問題としてはたして適正なのか?という疑問が湧いてきます。
これを読まれる皆さんは、どうお考えになるでしょうか?
[追記ーちなみに、旺文社大学入試問題正解の解説は、解釈1の立場をとっています]

(五)「この殿の牛飼ひに手触れてむや」(傍線部キ)とは誰をどのように評価したものか、説明せよ。

Aさん⇒道頼や帯刀を、恐ろしく手に負えない存在とみなしている。(帯刀は減点)
Bさん⇒帯刀を、牛飼いのようだと評価している。(不正解)
木山⇒道頼を、その従者にも手出しできない程の強大な権勢の持ち主と評したもの。

*直訳は『道頼の牛飼いにさえ(きっと)手を触れることができようか、いや、できない』。従者の牛飼いにさえ手出しできない程の、道頼の権勢の大きさ・威勢の強さを表現したもの。





木山のホームページ   


第三問(漢文) 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。ただし、設問の都合で送り仮名を省いたところがある。

[書き下し文]

凡(およ)そ下たる者、

a  為二  上  所一レ  信 、
[上(かみ)の信ずる所と為(な)り]

然(しか)る後言(げん)取る所有り。上たる者、下の信ずる所と為(な)りて、然

(しか)る後令(れい)下る所有り。事(こと)速(すみ)やかにせんと欲すれば則(す

なは)ち行(おこな)はれざるなり。

b  庸  愚  之  主ハ  必ズ  無シ二  斯ノ  憂ヒ一。
[庸愚(ようぐ)の主は必ず斯(こ)の憂(うれ)ひ無(な)シ]

唯(た)だ聡明の主(しゅ)其(そ)の材に恃(たの)む者のみ、或(ある)いは一旦(い

ったん)之を行ひ、顧(かへり)みる所有らざるに至る。

夫(そ)れ善を知りて速やかに成(な)さんと欲する者は、小人(しょうじん)の事

なり。

君子は則(すなは)ち然(しか)らず。

一言一行、其(そ)の及ぶ所大いに遠し。

c  与リハ三 其ノ  見ン二  効ヲ  於  一  時ニ一、  寧ロ  取レ二  成ヲ 

於 子孫ニ 一。

[其(そ)の効(こう)を一時に見ん与(より)は、寧(むし)ろ成(せい)を子孫に取れ]

是(こ)れ大体〈だいたい=政治の大要〕を知ると謂(い)うなり。

下民の愚、弊(へい)を承(う)くるの日久しければ、則(すなは)ち其(そ)の弊(へ

い)に安(やす)んじ、以(もっ)て

d  無レ  便二  於  此一。
[此(これ)より便(べん)なるは無(な)し]

と為(な)す。

しかのみならず狡猾なる者は心(こころ)其の弊を知り、而(しか)れども口言

はず、因(よ)りて以て自(みづか)ら之を恣(ほしい)ままにす。今、

e  欲レ  矯二  其  弊一、
[其(そ)の弊(へい)を矯(た)めんと欲すれば]

則(すなは)ち愚者は其の習(なら)ふ所に狎(な)れて、之を肯(がへん)ぜず。

狡者(こうしゃ)は乃(すなは)ち其の機に乗(じょう)じて之れに啗(くら)はす

〔=働きかけ、誘導する〕に利あらざるを以てす。

是(ここ)に於いて擾乱(じょうらん)して成らず。

大抵の数百世の後を維持し、国家を泰山(たいざん)の安き〔=名山として有名

な泰山のように安定していること〕に置く者は、近効(きんこう)無きがごと

し。

f  以テ三 其ノ  無キヲ二  近  効一、

行フニ 之ヲ  於  ザル未ダレ  信ゼ 之 民ニ一、  所-二-以 不ル一レ 服セ 也。

[其(そ)の近効(きんこう)無きを以て、之を未(いま)だ信ぜざるの民に行(おこな)ふ、服(ふく)せざる所以(ゆゑん)なり]


[現代語訳]

  およそ下位である者は、

a  為二  上  所一レ  信 、
[上(かみ)の信ずる所と為(な)り]

然るのちにその発言が(上位の者に)採用される。(逆に)上位にある者は、下位の者に信頼されてこそ、然るのちに命令を下すことができる。
(政策においては)事を速やかに成し遂げようと欲しない(=欲しない方がよい)。すみやかに成し遂げようと欲すれば、すなわち(その政策は)行われないのである。

b  庸  愚  之  主ハ  必ズ  無シ二  斯ノ  憂ヒ一。
[庸愚(ようぐ)の主は必ず斯(こ)の憂(うれ)ひ無(な)シ]

ただ、聡明な君主でその資質・才能を自負する者だけが、(政策を速やかに成そうとして)一旦(いったん)これを行って、(ことが成ったと思い)爾後はそれを顧みることがないのである。

そもそも、善(=善い政策)を知って、その善を速やかに成し遂げようと欲す者は、つまらない人である。(しかし)君子はそうではない。(君子の)一つの発言一つの行いは、その及ぶ結果は(目先のものではなく)遠大なものである。

c  与リハ三 其ノ  見ン二  効ヲ  於  一  時ニ一、  寧ロ  取レ二  成ヲ 

於 子孫ニ 一。

[其(そ)の効(こう)を一時に見ん与(より)は、寧(むし)ろ成(せい)を子孫に取れ]

これを政治の大要を知ると言うのである。

  下々の民衆の愚かさは、(政策の)弊害を受ける期間が久しくなれば、すなわち、その弊害に満足して(甘んじて)、その弊害を以て

d  無レ  便二  於  此一。
[此(これ)より便(べん)なるは無(な)し]

となすのである。

しかのみならず(=それだけでなく)、狡猾なる者は心中にその(政策の)弊害を知りながらも、口には言わず、そうやって自らこの弊害を思うままに利用するのである。今、

e  欲レ  矯二  其  弊一、
[其(そ)の弊(へい)を矯(た)めんと欲すれば]

すなわち、愚かな民衆はその(悪弊の)習慣に慣れていて、この(改革を)承知しないのである。(さらに)狡猾な者はその(改革の)機に乗じて、これに働きかけ誘導するのに利有らざるを以って誘導する(=つまり、不利益に誘導する)。
 ここに於いて、(国家は)擾乱し、改革は成就しないのである。
だいたい、数百世代国家の安定を維持する、有名な泰山のような安定した為政者は、(政策の)目先の近い効果など無きものの如くである。
《=立派な為政者ほど遠大な視野に立って政策を実行するものだの意味》

f  以テ三 其ノ  無キヲ二  近  効一、

行フニ 之ヲ  於  ザル未ダレ  信ゼ 之 民ニ一、  所-二-以 不ル一レ 服セ 也。

[其(そ)の近効(きんこう)無きを以て、之を未(いま)だ信ぜざるの民に行(おこな)ふ、服(ふく)せざる所以(ゆゑん)なり]

(井上金蛾『霞城講義』による)


(一)傍線部a・d・eを現代語訳せよ。

a
Aさん⇒上官に信用され(正解)
Bさん⇒君主に信用されて(一部減点)
木山⇒上位の者に信頼されて

*受身形の基本句形(公式20A②)。Bさんの書いた「君主」は国家の統治者・天子・王を意味しますが、この場合の「上」は単に上位者の意で用いられていますから、その部分は減点されると思います。

d
Aさん⇒この命令を無用のものとする(不正解)
Bさん⇒弊害をただす機会がない(不正解)
木山⇒現状より良いものはない

*置字「於」を用いた比較の用法(公式10①C)。東大は近年、よくこの句形を出題しています。しかし、あれ程繰り返し練習をしたのに、お二人とも気付かなかったとは!『便なり=都合が良い』と解して、「現状より都合が良いものはない」と書いても正解です。

e
Aさん⇒この弊害を改善しようとすれば(正解)
Bさん⇒その弊害を矯正しようとすれば(正解)
木山⇒政策の悪弊を正そうとすれば


(二)「庸 愚 之 主 必 無二 斯 憂一」(傍線部b)とあるが、なぜなのか、簡潔に説明せよ。

Aさん⇒愚かで凡庸な君主は、命令が実行されるかどうかなど考えもしないから。(不正解)
Bさん⇒凡庸で愚かな君主は、自身の才能をあてにして政治を速やかに行おうとはしないということ。(正解)
木山⇒凡庸で愚かな君主はもとより政策を速やかに実行する才覚もないから。

* 速(すみ)やかに(政策を実行しようと)欲することの是非を受けての傍線部ですから、『愚劣な君主はもとより速やかに政策を実行する才覚もないから』といった答案の方向性は動かしようがなく、Bさんは一応これを言い表している様に見えます。

(三)「与三 其 見二 効 於 一 時一、寧 取二 成 於 子 孫一」(傍線部c)を、平易な現代語に訳せ。

Aさん⇒すべての効果がすぐに現れるより、子孫の代で成果が出る方が良い。(ほぼ正解)
Bさん⇒政策の効果がすぐに現れるようにするよりは、子孫の代での達成の方を選びなさい。(ほぼ正解)
木山⇒むしろすぐに効果をあげるより、子孫の代に成果が出る方が良い。

* Aさんの答案の「すべての」は、逆に、一部の効果ならばすぐ現れても良いとも取れてしまうので、減点されるかも。Bさんの「〜の方を選びなさい。」は、『取レ』の命令形を意識したのでしょうが、やや訳出がぎこちない。

(四)「以三 其 無二 近 効一、行二 之 於 未レ 信 之 民一、所-二-以 不一レ 服 也」(傍線部f)とはどういうことか、わかりやすく説明せよ。

Aさん⇒速やかに効果の出ない政策の命令を、信用されていない民に出しても民は従わないということ。(正解)
Bさん⇒すぐに効果が出ないことを理由として、君主をまだ信用していない民衆に政策を速やかに行おうとしたことが民衆が従わなかった理由だということ。(一部減点)
木山⇒目先の効果が現れない政策を、君主を信頼していない民に対して行っても民はそれに従わないということ。

* Bさんの答えの「〜を理由として」は不要ですし、意味合いが少しズレてしまいます。『すぐに効果が出ないことを、君主をまだ信用していない民衆に〜』と続けるべきです。

もどる