お便りシリーズNo.82
= 令和7年・2025年
東京大学古典だより(古文漢文) =
第ニ問〔古文〕
この文章は『撰集抄』の一話である。これを読んで、後の設問に答えよ。
昔、御室戸(みむろと)《注…京都府宇治市の御室戸寺》の法印隆明といふ、
やんごとなき智者、もろこしに渡り給はんとて、西の国におもむきて、
播磨(はりま)の明石といふ所になん住みていまそかりけるに、
(ア) あさましくやつれたる
僧の、来たりて物を乞ふ待り。
さながら赤裸(あかはだか)にて、ゑのこ《注…子犬》を脇に抱き侍り。
人、後先(しりさき)に立ちて、笑ひなぶりける。あやしの者やと思(おぼ)して
見給へば、清水寺(きよみづでら)の宝日上人にていまそかりける。
(イ) ひが目にや
とよく見給へど、さながらまがふべくもあらざりければ
(ウ) かきくらさるる心地
して、伏しまろびて、「あれはめづらかなるわざかな」とのたまはせければ、
上人ほほゑみて、「まことに物に狂ひ侍るなり」とて、走り出で給ふめるを、
人あまたして、取りとどめ奉らんとし待りけれども、さばかり木暗(こぐら)き
繋みが中に入り給ひぬれば、
(エ) 力なくやみ侍りけり。
隆明法印は、あまりすべき方なく悲しく覚え給ひて、その事となく、その里に
とまり居給ひて、広く尋ねいまそかりけれども、その後はまたも見えずなり給
ひにき。さて里の者にくはしく事の有様を問ひ給へりければ、「いづくの者
とも人に知られで、この村に住みても二十日ばかりなり」とぞ答へ待りける。
(オ) この事、限りなくあはれに覚え待り。
何と、げに世を捨つといふめれど、身のあるほどは、着物をば捨てずこそ待る
に、あはれにもかしこくも覚えるかな。
およそ、この上人はよろづ物狂はしき様をなんし給へりけるなり。ある時は、
清水の滝の下に寄りて、合子(がうし)《注…ふた付きの容器》といふ物に水を
受けて、隠れ所をなん洗ひ給ふこと、常の態(わざ)なり。いみじく静かに思ひ
澄まし給ふ時も待るめり。
一方(ひとかた)ならず見給ひし。澄み渡る心の内は、いつも同じさきら
《注…才知》なれども、外(ほか)の振る舞ひは百(もも)に変はりけるは、
(カ) よしなき人の思ひを、我のみ一方にはとどめじ
と思しけるにや。
この上人ぞかし、中(なか)の関白《注…藤原道隆》の御忌に、
法興院《注…道隆の父兼家の別邸を寺としたもの》に籠(こも)りて、
暁方(あかつきがた)に千鳥の鳴くを聞き給ひて、
(キ)明けぬなり賀茂の河原に千鳥鳴く今日もはかなく暮れんとぞする
と詠みて、『拾遺集』《注…三番目の勅撰和歌集》に入り給へり。
明けぬるよりはかなく暮れぬべき事の、かねて思はれ給へりけるにこそ。
かの『拾遺集』には円松法印と載りて侍るは、上人の事にこそ。
現代語訳
むかし、東大御室戸寺の法印隆明という、尊い高僧が、「中国に渡ろう」と
思いなさって、西の国に向かい、播磨の明石という所に滞在していらっしゃる
時に、
(ア) あさましくやつれたる
僧で、やって来て物乞いをする僧がおります。まったく裸同然の姿で、子犬を
脇に抱えています。周りの人々は、前後に立って、笑ったり冷やかしたりし
た。(隆明は)「不審な者か」とお思いになってご覧になると、(なんと)
清水寺の宝日上人でいらっしゃったのだ。
(イ) ひが目にや
とよく(目を凝らして)
ご覧になるけれども、まさしく見間違うはずもなく(宝日上人)その人だった
ので、(隆明は)
(ウ) かきくらさるる心地
がして、(その場に) 倒れ伏して、「これは滅多にない事態であることよ」と
仰ったところ、上人は笑って、「本当に気が狂っておるのです」と仰って、
走り出ていらっしゃるように見えるのを、大勢の人を(隆明が)使って、引き
留め申し上げようとしますけれども、(上人は)木々がとても生い茂る中に
お入りになってしまったので、
(エ) 力なくやみ侍りけり。
隆明法印は、甚だしくどうしようもなく悲しく感じなさって、(他に)これと
いう理由や目的もなく、その里に留まりなさって、(上人の行方を)広く捜し
求めますけれども、その後は二度と(上人は)見られなさらなかった。
そこで(隆明)は里の者に詳しく事情を尋ねなさったところ、「どこの者とも
人々に知られないで、この村に住み始めて二十日ほどです」という回答でござ
いました。
(オ) この事、限りなくあはれに覚え待り。
何とまあ、確かに(出家は)「世を捨てる」と表現しますけれども、(そうは
いってもやはり)生きているうちは、(せめて)衣服は捨てないものでござい
ますのに、(衣服まで捨てなさった上人は)しみじみと心動かされ、立派にも
思われますなあ。
おおかた、この上人は、様々な正気を失ったような(常識から外れた)行動を
しなさっていたという。
ある時は、清水の滝の下に立ち寄って、合子〔=ふた付きの容器)という物に
水を入れて、陰部を洗いなさることが、日常的な行為であった。(また、)
非常に静かに心を澄ましなさる時もあったようです。
並一通りの僧ではなく見えなさいました。
澄み切った心の内側は、常に同じ才能と知恵を持っているけれども、外見上の
ふるまいは、数多く(常識とは)変わっていたのは、
(カ) よしなき人の思ひを、我のみ一方にはとどめじ
とお思いになったのだろうか。
この上人こそが、藤原道隆の追善供養の日に、法興院に籠って、夜明け前頃に
千鳥が鳴く声を聞きなさって、
(キ) 夜が明けたようだ。賀茂の河原で千鳥が鳴いている。今日も(また)
あっけなく日が暮れようとしている
と、詠んで、『拾遺和歌集』に収録されなさった。
夜が明けるやいなや、きっとあっけなく日が暮れてしまうだろうということ
〔=世の無常)を、以前から悟っていらっしゃったのだろう。
あの『拾遺集』
には円松法印として載っておりますのは、この上人のことである。
[設問]
以下、今年の添削通信の合格者(理科二類)の再現答案を紹介しつつ、解説します。
(一) 傍線部ア・イ・エを現代語訳せよ。
ア
Aさん⇒驚きあきれるほどにやつれている
イ
Aさん⇒見間違いであろうか
ウ
Aさん⇒仕方がなくてやめました
(二) 「かきくらさるる心地」(傍線部ウ)とは、何に対するどのような心情か、説明せよ。
Aさん⇒理科にはこの設問はありません。
(三) 「この事、限りなくあはれに覚え侍り」(傍線部オ)とあるが、語り手はなぜそのように感じたのか、説明せよ。
Aさん⇒出家しても衣服は捨てないものなのに、それまで捨て切った悟り深い上人に感心したから。
(四) 「よしなき人の思ひを、我のみ一方にはとどめじ」(傍線部カ)とはどういうことか、説明せよ。
Aさん⇒理科にはこの設問はありません。
(五) 傍線部キの歌は、どのようなことを表しているか、説明せよ。
Aさん⇒夜が明けて鳥が鳴いているが、日は暮れて、またはかなく無常な一日が過ぎるということ。
第三問〔漢文〕
次の文を読んで、あとの設問に答えよ。
[書き下し文]
人(ひと)恒(つね)に執着を病(うれ)ふ。然(しか)れども亦(ま)た
a 不レ 可二 概 論一。
良(まこと)に学(がく)は好むを以(もっ)て成(な)り、之を好むの
極(きょく/きわみ)を着(ちゃく)と名(な)づくるに繇(よ)る。
羿(げい)は射に着し、遼(れう)は丸に着し、連は琴に着するかな。
《注…羿は弓、遼はお手玉、連は琴の名人として知られる》
夫(そ)れ弈(えき)《注…囲碁》に着する者は、屏帳垣牖(へいちょうえんゆう)
《注…牖は窓》皆森然(しんぜん)として《注…びっしりと》黒白勢を成(な)
すに、書(しょ)に着する者は、山中の木石(ぼくせき)尽(ことごと)く黒なるに
至(いた)り、馬を画(えが)くを学ぶ者は、馬現(あら)はるるに牀榻(しょうと
う)《注…ベッド》の間に至(いた)る。
夫(そ)れ然(しか)る後に其(そ)の芸を以て天下に鳴りて
b 声二 後 世一。
c 何 独 於二 学 道一 而 疑レ 之。
《注…学道はここでは仏道を学ぶこと》
是(こ)れの故に参禅(さんぜん)の人は、茶に茶を知らず、飯(はん)に飯を知ら
ず、行きて行くを知らず、坐(ざ)して坐するを知らず、筐(はこ)を発(ひら)き
て扉(とざ)すを忘れ、厠(かわや)を出て衣を忘るるに至る。
念仏の人は、目を開き目を閉(と)づるも、観(かん)前(まえ)に在(あ)り《注…
仏などを観想すること》心を摂(おさ)め心を散らすも念(ねん)恒(つね)に
一(いつ)なるに至る。
良(まこと)に情(なさけ)極(きは)まり志(こころざし)専(もっぱ)らにして、
功深く力(ちから)到(いた)るに繇(よ)りて、
d 不レ 覚 不レ 知、
忽(たちま)ち三昧(ざんまい)《注…深く集中した境地》に入るなり。
亦(ま)た燧(ひ)《注…火打ち石》を鑽(き)る者の、之を鑽(き)りて已(や)まず
して焔(ほのほ)を発し、鉄を煉(れん)する者の、之を煉(れん)して已(や)まず
して鋼(こう)を成(な)すがごときなり。
概(がい)して其(そ)の着(ちゃく)せんことを慮(おもんぱか)りて悠悠(いう
いう)蕩蕩(たうたう)《注…ゆったりと気ままなさま》、
e 如ク二 水ノ 浸スガ一レ 石ヲ、
年刧(ねんごふ)《注…長い年月》を窮歴(きゅうれき)すとも、何(なん)の益
(えき)か之(こ)れ有(あ)らん。
是(こ)の故に
f 執 滞 之 着ハ 不レ 可カラレ 有ル、 執 持 之 着ハ、
不レ 可カラレ 無カル。
設問
(一) 傍線部a・b・dを平易な現代語に訳せ。
a
Aさん⇒ 一概には言えない
b
Aさん⇒ 後世に名声が伝わる
d
Aさん⇒ 何も思われず、何も考えず
(二) 「何 独 於二 学 道一 而 疑レ 之」(傍線部c)を、「之」の内容がわかるように、現代語訳せよ。
Aさん⇒ どうして仏道を学ぶことにおいてのみ、好いていることを極めて名声を得るということを疑うのか、いや、疑う必要はない。
(三) 「如二 水 浸一レ 石」(傍線部e)とはどういうことか、簡潔に説明せよ。
Aさん⇒ 理科にこの設問はありません。
(四) 「執 滞 之 着 不レ 可レ 有、執 持 之 着
不レ 可レ 無」(傍線部f)とはどういうことか、本文の趣旨を踏まえて説明せよ。
Aさん⇒ ただ執滞してゆったりときままに過ごすことは良くないが、好むことに執着して極めることは良いことだ。