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お便りシリーズNo.84

= 令和8年・2026年
東京大学古典だより(古文漢文) =




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追善供養
これであの人も浮かばれる・・
執着/愛執を絶って成仏のこと



第二問〔古文〕

次の文章は「狭衣(さごろも)物語」の一節である。狭衣大将(大将)と飛鳥井(あすかい)の女君は恋人同士だったが、その関係は秘されていた。以下は、飛鳥井の女君の一周忌の法要の場面である。

 年の果てに、かの人の事せさせ給ひけり。心ざしのしるしには、何事をかは

と思せば、経、仏の御飾りを、

なべてならずせさせ給ふ。

 何事も、まことに日の中(うち)に仏にも成るばかりに、思し掟(おき)てたり。

その日、いたう忍びて、自らおはしぬ。講師(かうじ)《…法要で講説する

》は、山の座主(ざす)《…比叡山延暦寺を統括する僧》なりけり。

請僧(しゃうそう)《…招かれた僧》六十人、七僧《…法要で役を務める

》なども、並び居たり。

 いみじう尊きにつけても、「めでたかりける人かな。この御心にかくまで

思されけるよ」と、見る人多かり。さしもすぐれ給へる御さまに、泣く泣く

読み給へる願文(ぐわんもん)《…仏事に読み上げる文章》の悲しさは、

袖濡らさぬ人もありがたげなる

を、まいて大将の御直衣(なほし)の袖は絞るばかりにもなりぬべし。

さるは、「人目も心弱くや」と思し忍ばぬにはあらねど、ただうち聞く集、

物語、古歌なども、我が思ふ筋なるは、こよなう目留まりて、あはれにおぼ

ゆるわざなればなるべし。見たてまつる人なども、「誰ならん、いとかばかり

思されたりけるは。

げに口惜しかりける命のほどかな」

と、見おどろかぬはなし。さまざま尊き事どもは多かれど、

えまねばぬは、なかなかかひなし。

事果てて、僧も人々もまかでぬれど、自らは留まり給ひて、尼君《…飛鳥

井の女君の伯母
》に会ひ給ひて、尽きせぬあはれと思したり。

入相(いりあひ)の鐘《…日没時の鐘》の音ほのかに聞こえたる、夕べの空

のけしき、所がら、言ひ知らず心細げなるを、簾(すだれ)かき上げて、つく

づくと眺め給ひて、行ひ給へるけしき、いみじう尊くあはれげなり。

暁にもなりぬらんとおぼゆるまで明かし給ひて、あまり苦しければ、やがて

端にうち休みて、まどろみ給へるに、

ただありしさまにて、かたはらに居て、

かく言ふ。

〔歌〕暗きより暗きに惑ふ死出の山

とふにぞかかる光をも見る

と言ふさまの、らうたげさもめづらしうて、「物言はん」と思すに、ふと

目覚めて見上げ給へれば、澄み上(のぼ)りて、月のみぞ顔に映りたりける。

雲の果てまで、さやかに澄みわたりたる空のけしきを、ただの寝覚めにだに、

心細かりぬべき空のけしきなれば、かたはらにまだある心地して、見わたさ

るれど、人は皆遠く退(の)きつついとよく寝たり。

一人つくづくと空を眺め給ひて、泣く泣く越ゆらん死出の山路まで思しやら

るるに、ただ、かの吉野の山をも後(おく)らかさんこと《…飛鳥井の女君

にはじめて出会った折、吉野山にちなむ和歌を用いて声をかけた狭衣大将が、

女君の気持を確かめるために、あえてつれなくしたこと
》を、恨めしげに思

ひたりしけしきなど、なつかしかりしも、ただ今向かひたるやうに思ひ出で

られ給ひて、

〔歌〕後れじと契りしものを死出の山三瀬川(みつせがは)《…三途(さんず)

の川
》にや待ちわたるらん

と思しやるも、枕浮き給ひぬべき心地し給ひて

経を読み給ふ。


現代語訳

(狭衣大将は)年の暮れに、あの人(=飛鳥井の女君)の一周忌の法要を催し

なさった。(女君への)愛情のしるしとしては、(外に)何ごとが出来ようか、

いや、法要以外に何事もできない、とお思いになるので、経文や仏像の

御飾りを、

なべてならずせさせ給ふ。

何ごとも、誠にその日のうちに仏にもなるほどに《=すぐに成仏するほどに

完璧な法要を》あらかじめ取り決めなさっていらっしゃった。その日、たい

そう人目を避けて、大将ご自身もいらっしゃった。講師は比叡山延暦寺の

天台座主であった。招請された僧は六十人、(役を務める)七僧なども、並び

座っていた。

たいそう尊いにつけても、「(このように法要を営まれる女君は)すばらし

かった人だなあ。この(大将の)お心にこれ程まで に思われなさっている

ことよ」と見る人は多い。

それほどまでにも優れたご様子で、泣きながらお読みになる願文(の文章)

の悲しさは、

袖濡らさぬ人もありがたげなる

のを、まして大将の(着ている)直衣(なほし)の袖は、きっと(涙で)絞れる

ほどまでになってしまうにちがいない。そうは言っても、(大将も)「人目

にも心弱く見えるだろうか」とお思いになり、堪え忍ぼうとなさらないわけ

ではないけれども、ただふと聞く勅撰集や物語、古歌なども、自分の思う筋

に(重なる)ものは、この上なく目が留まって、しみじみと物悲しく思われる

ことなので、(=そういうご性質なので涙が止まらないの)であるにちがい。

(大将の様子を)見申し上げる人なども、「(これほどまでに死を惜しまれる

のは)誰であろう、たいそうこれほどまでに(大将から)思われていた人は。

げに口惜しかりける命のほどかな」

と、見て驚かない者はいない。さまざまに尊い(法要の)事柄は多いけれ

ども、

えまねばぬは、なかなかかひなし。

  法要が終わって、僧も人々も退出してしまったけれども、(大将)ご自身

は留まりなさって、尼君〔=女君の伯母〕にお会いなさって、尽きることの

ないしみじみとした物悲しさであるとお思いになった。 (日没を告げる)

入相の鐘の音がかすかに聞こえてくる、夕暮れの空の様子は、場所柄

(もあって)、言いようもなく心細い様子であるのを、(大将が)簾をかき

上げて、しみじみと(物思いにふけって)眺めなさって、仏道修行(勤行)

をなさっている様子は、たいそう尊くしみじみと趣深い。

 (大将は)夜明け前にもなってしまっているだろうかと思われる頃まで

(一晩中)座って夜を明かしなさって、あまりに苦しいので、

そのまま(部屋の)端でちょっと休んで、まどろみなさっていると、

(夢の中で女君が)

ただありしさまに、かたはらに居て、

このように言う。

〔歌〕暗い(迷いの)道から、さらに暗い(迷いの)道へと迷う死出の山

ですが、

とふにぞかかる光をも見る

と言う(夢の中の女君の)様子が、かわいらしい様子であるのもすばらしく

て、(大将は)「何か物を言おう」とお思いになる時に、ふと夢から覚めて

(空を)見上げなさると、(月が高く)澄み上って、月(の光)だけが

(大将の)顔に映っていた。

雲の果てまで、はっきりと一面に澄んでいる空の様子を(見ると)、ただの

目覚めでさえ、心細くなってしまいそうな空の様子であるので、(女君が)

まだ傍(かたわ)らにいるような心地がして、自然と(あたりを)見渡される

けれど、人々は皆、遠く退(しりぞ)きつつ、たいそうよく寝ている。

 (大将は)一人でつくづくと空を眺めなさって、(女君が)今ごろ泣き

ながら越えているだろう死出の山の路まで思いやりなさると、ただ(女君と

初めて出会った折に)あの吉野の山で(女君の気持ちを確かめるために、)

敢えてつれなくしたことを、(女君が)恨めしそうに思っていた様子などが、

心ひかれように思われたのも、まさに今向かい合っているかのように自然と

思い出しなさって、

〔歌〕死におくれまい(=生死を共にしよう)と約束していたのに、(先立って

しまったあなたは)今ごろ死出の山の三途の川で(私を)ずっと待ち続けて

いるのでしょうか。

と思いやりなさるのも、(涙で)枕も浮いてしまいそうな心地がして、

経を読み給ふ。


(この記事続く)





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